植物も人も太陽の光に活力もらってる?
自分で育てて自分で食べる、それは幸せなこと
朝食の材料を採りに今朝は少し足を延ばして畑に行きました
つくしがいっぱい生えてたから、採ってきて食べました
つくしなら道端にどこでも生えてるとは思うんだけど、都会の道端や公園は犬猫の散歩道だったりするし、それは田舎でも同じだけど衛生面で気になります
道はどこでも管理に除草剤使ってないとも限らないし…
自分の畑なら土地の状態がわかっているので安心して食べられます
一昨日に雨が降って、今日のお天気でみんな生き生き育ってくれてる他所より育ちの遅かったコ達も大きくなっていました
他の人達の畑見たら、今の時期もう既にエンドウ達1m越して背が高く茂ってるの見かけるんだけど、去年もそうだったのでウチのはこれで大丈夫なんだと思います
去年も真冬に道の駅で売れ残ってた苗を買って植え付けておいたんだけど、春先になっても小さいままで、ダメなのか?と思ってたらちゃんと育って実をつけてくれました
たぶん人が手をかけて育てるのと、放っておいて育てるのとでは、植物たちの育ち方のペースが違うんじゃないのかな?
要するに植物達は自分のペースで育ってくから心配しなくても大丈夫なんだろうなって。
その土地や気候に適応出来ないものは、ダメになってくけれどそれはそれでかまわない。実際、数種類買ったエンドウ苗のうちでひとつの種類のは枯れてました。人の助けがないと生きられない苗は弱いです、そういうのを食べても吉とはならないと思います。淘汰です
玉ねぎも育ち遅いなあって思ってたけど、大丈夫みたい。生き残ってたくましく育ってくれた方が私はうれしいです
農作物って、ひとことで言っても、産地や作る人や農法によって育った野菜の質は違うと思うんです。含まれてる栄養素の内容が違ってくるんじゃないかなって思ってます
そして非科学的と言われてもいいけど、結局は育ててる「人」なんですよね
人と人との関わりや、人とペットの関わりも一緒だと思うし、無機物である道具達もそうですよね
付喪神って日本古来の考え方があります
道具にさえ魂が宿ります
植物に対する接し方は、出来てくる農作物の質に関わるんじゃないかと思っています
でも、食べる側の人達も個々に考え方、環境、経済状況、すべて違うし、作る側の人達もすべて違っているから、これはマッチングなんです
何を選ぶかというのはひとつの事柄を取り上げて判断するんじゃなくて、トータルで自分にとってベストなものを選んでいくのがいいのかなって思います
私にとってのベストなものは、いっぱい作っていっぱい売らなくてもかまわないから、自分が安全って思われるものを自分で作って自分で食べたい
自分が作れない食べ物は自分の判断基準で選んで作ってくれた生産者さんに感謝して食べていきたいです、そうしています。
自分ひとりでは何もかも調達して生きていくなんてことは出来ない
だから慣行農法、自然農法、どちらが良い悪いじゃなく色々なやり方があって色々な選択肢があって結局は自分以外の「他」に感謝していただく、その気持ちは大事なんじゃないかな
「いただきます」
「ごちそうさま」
日本語の言葉には美しくて深い意味があります
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